よろこびの追究

地震から一週間過ぎて連休のただなか。
テレビも新聞も読まないし、いとこは生きて避難してるし、計画停電には含まれない街に暮らしてるし、郊外みたいに通勤の苦労もしてない。
米もあとひと月分はあるし、トイレットペーパーも余裕だから買いだめに焦る必要もない。
つまりかなり楽してる部類だけど、そういう立場なりに思うこともある。

私には余力があるから、まず人を安心させる態度でいたい。
人を追い詰めるような事を言いたくない。
だけど、こんな時特に心強い現場トップは今月いっぱいで退職する。
それに、放射線が恐くて休む同僚がいたりするのももやっとする。ひとりは自宅に籠もって、もうひとりは実家の京都に逃げた。
その人たちがまた出勤してきた時、内心(ふーん)と見下さずにいる自信がない。

また、美術館の一時休館や、ライブの中止が相次ぐのも心の支えがぼきぼき折れる。
東北での中止はわかるが、それ以外の地方ではやるべきだと思う。
今こそ歌舞音曲が必要だ。

そんなで、泣いたりはしないけど、おいしい食事に泣きそうになったりはする。
自作の白菜のスープにそう思えるから、安上がりなものだ。
今日はステーキや刺身やチョコバーやら、過剰に刺激的な食事を摂ってしまった。
年末に一方的失恋した人よりもっと、見た目だけなら好みの人に気付いた。
図書館で借りたバリー・ホワイト「Staying Power」に深い安らぎをもらった。晩年の作品だが、ゆるぎないエロさにほどける。